松島町について
京都の天橋立(あまのはしだて)、広島の宮島と並び、日本三景のひとつである松島。大小260余りの島々が浮かぶ松島湾や四季折々の自然、瑞巌寺(ずいがんじ)や五大堂など数多くの文化遺産が残る松島町は、古くは霊場として、江戸時代以降は景勝地として、訪れる人々を魅了してきました。
仙台藩主・伊達政宗公が再興した瑞巌寺には今も昔も多くの人々が訪れ、松島の観光の中心となっています。
古くから霊場として知られる松島。
伊達政宗(だて・まさむね)公が愛し、
松尾芭蕉(まつお・ばしょう)が
一目見たいと旅をした松島には、
千年の歴史と、海の恵みに寄り添う暮らしがあります。
京都の天橋立(あまのはしだて)、広島の宮島と並び、日本三景のひとつである松島。大小260余りの島々が浮かぶ松島湾や四季折々の自然、瑞巌寺(ずいがんじ)や五大堂など数多くの文化遺産が残る松島町は、古くは霊場として、江戸時代以降は景勝地として、訪れる人々を魅了してきました。
仙台藩主・伊達政宗公が再興した瑞巌寺には今も昔も多くの人々が訪れ、松島の観光の中心となっています。
美しい島々の浮かぶ松島湾の絶景は古来より極楽浄土として崇められてきました。春の「西行戻しの松」からは、桜と共に松島湾の美しい島々が眺められ、秋には「金波・銀波」と呼ばれる月が波の静かな湾に浮かびます。時を超え、伊達政宗公から松尾芭蕉、アインシュタインらを魅了した風景です。
地上を這(は)いうねるように枝を伸ばす樹の姿が「臥(ふ)せた龍」に似ていることから「臥龍梅(がりゅうばい)」と名付けられた梅は、政宗公が朝鮮出兵の際に持ち帰り、瑞巌寺に手植えされたと伝えられています。
「松島こうれん」には、美しく、悲しい物語があります。700年ほど昔、秋田県象潟(きさかた)から松島へ娘が嫁いできました。しかし、娘が来た時にはすでに夫は亡くなっており、2人は生前逢(あ)うことはできませんでした。その後も娘は松島に残って義父母に尽くし、義父母の亡き後は紅蓮尼(こうれんに)と名を改め、観音様にお供えされた米を粉にして煎餅を焼き、 村の人に与えたと言われており、これが松島こうれんの始まりと伝えられています。宮城県産のササニシキと天然の塩を使用した、松島で680年もの長い伝統を持つお菓子です。
松島の水産物といえばカキとハモ(アナゴ)が有名です。松島湾では300年前からカキの養殖が始まったといわれ、水揚げ量・売上高ともに、町の水産業の7割以上を占めています。地元ではハモと呼ばれるアナゴも、昔から松島湾で獲れる魚です。初夏から秋に多く獲れ、旬は脂の乗る7月から9月。今では穴子丼が松島の名物になっています。
農産物では、最新の技術で栽培され、甘みと酸味のバランスが絶妙な「松島とまと」の生産に力を入れています。